2016年6月6日月曜日

熊本地震・現地レポート2

兵庫県保険医協会は、5月7日・8日、熊本地震の現地を訪問した。
同行した平田高士京都歯科協会理事のレポートを掲載する。

熊本地震医療支援に参加して


95年の阪神淡路、2011年の東北の時の「とにかく現場に行く」という思いを胸に熊本に行ってきました。95年1月19日阪急西宮北口から歩き始めたときの言葉では言い表せない程の衝撃、そして2011年4月に石巻で感じた絶望感、そして今回はまさか3度目があるとは、という驚きが現地に向かうきっかけになりました。

九州新幹線に乗って熊本駅に近づくと屋根のブルーシートがちらほらみられるようになりました。熊本駅を降り車を走らせると一見何もなかったようにさえ感じた駅前とは裏腹に、倒壊した建物が所々に見られるようになります。初めに訪れた熊本県保険医協会では会長の木村先生、副会長の徳永先生、事務局長の鈴木さんから地震直後からの県内の状況について説明を受けました。避難している住民は1400回を超える余震のせいで家で眠れない方が多く、車中泊によるエコノミークラス症候群が5月8日朝までに48人発症、またパニック障害の患者さんや、不眠、やトイレへの心配から水分を控え便秘を訴える方が多く、下肢のむくみや血圧上昇などの症状も多くみられるそうです。

2日目は熊本市中央区役所に向かい、保健子供課に勤務されている歯科医師の吉良直子先生から住民の健康状態やご自身が被災直後から経験され行動された事柄について説明していただきました。

その内容は、

14日の午後9時26分の発生から63ヶ所の避難所を開設していたが、住民が自主的にばらばらに避難していたこともあり市役所としては把握できなかった。
その後学校再開の必要性もあり避難所は4箇所に集約する方向で動いている。
当初は毛布がいきわたらず、寒さもあり眠れない住民も多かった。
災害時に必要だったのはメガネ、入れ歯、洗面用具やグローブなどのほかに、着替えを用意しておくことはとても大事だと感じた。
トイレは紙が詰まるので紙を流さないことを徹底する事が重要である。
被災直後から3日目までは実際問題として、食べ物はないと思っておいたほうがいい。
2日後の本震で心折れた人が多かった。
感染症対策のため避難していた体育館を早く土足厳禁にすればよかった。
水は200ccを一日二回配給したが円滑に配給するために備蓄の中に紙コップがあればよかった。
3日目から便秘やむくみの相談が多く寄せられたが、医療機関が無料でかかれるということが周知されていなかったため受診を控える人が多かった。
アレルギーの子供の食べ物がなく、硬いパンなどの食べ物は老人には食べにくいのでゼリーのようなものは重宝した。
避難者どうしの協力体制がとれているところは避難所の運営がスムーズに行っていた。
避難所になっていた小学校には洋式トイレが少なくポータブルトイレが役に立った。
サランラップが食品の保存や傷の処置などいろいろな用途で役に立った。
避難所では行政が介在しながらいろいろな専門性をいかして役割分担をし、それを支えるボランティアの存在が必要だった。
3ー5日の間に自衛隊の応援が入りこのころになるとSNSの情報で物資の偏りを感じ不平不満が生まれだした。
なかなか表には出ないが性暴力の問題は後々まで心の傷になるので気をつけなければいけないのだが、男性スタッフでの対応では充分できなかった。
すべてを行政に頼るのでなく、避難者同士が協力して掃除当番などの役割を担うべきではないか。
1週間以降は物資が供給され避難所格差が生じてきた。
5-10日でエコノミークラス症候群が出始めた。外からの調査隊が大量に入ってきてその中に不審者がまぎれて、空き巣などの心配も増えてきた。

吉良さんの話を聞いていると役所の人たちの奮闘が伝わってきました。ただ長期戦になった場合地元の人たちの体力や精神力がどこまで持つのだろうという心配になりました。

午後からは激震地帯であった益城町に向かいました。東区を抜け益城町が近づくと、住宅に張ってある紙が黄色から赤が増え、阪神のときにも目にした「まさに瓦礫になってしまった住居」が目立つようになりました。
町中に積み上げられた瓦礫を含むごみを神戸市のゴミ収集車が回収に回っているのはとても印象的でした。
益城町は役場が被災し避難所となる大きな施設が少なく、町の中を見て回った後は避難所になっている益城町総合体育館に向かいました。体育館の周りには医療班のテント、歯科医療相談コーナー、足のマッサージコーナーそして自衛隊設営の銭湯と東北で見たのと同じ光景が広がっていました。
ところが避難所の中は一部の高齢者の方はダンボールベッドの上に布団を敷いておられましたが、ほとんどの人はウレタンマットの上にじかに毛布が敷かれており、まだ間仕切りもできていない状態でした。
被災者の方に話を聞くと物資や食べ物は充分足りており、とくに今必要なものはないとのこと。駐車場には夜間の車中泊のための場所を確保するためのペットボトルが多く並んでいました。われわれが滞在した短い時間の中でも何回か余震があり、その状態が3週間以上続いていることを考えると、住民の方々の不安の大きさは計り知れないものだと感じました。

今回の熊本訪問で再度感じたのは、この国そして地球規模で見ても、「災害に強いまちづくり」は実際不可能であり、いつどこでどんな災害にあってもそこを何とかして生き延びるスキルを今までの経験から身につけるしかないのだということです。
そしてそのために物心両面での備えと、日ごろからの健康を維持していくことがとても大切だと感じました。私たちはそこをほんの少しお手伝いできる可能性があります。
そしてそこを一歩進めて、災害の起こった後、自力で健康を維持できず、慢性的な心や体の病から生命の危機にさらされる人たちに寄り添う役割の一端を果たせるように、これまでの経験を集約しそれを元に学習していかなければならないのです。
今回は幸いなことに川内原発は地震で損傷し爆発する悲劇は起こりませんでした。ただいろいろな場所で連動する地震が続いており、川内原発が第二の「フクイチ」にならない保障はどこにもありません。私たちはそこは充分学んだはずです。国民をだまし続けてそして大切なものすべてを奪う原発は許してはいけない、そして経済発展より健康で安心な社会こそがこの国の目指す姿だと再認識しました。

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