2016年10月25日火曜日

特別インタビュー 熊本地震から半年

特別インタビュー 
熊本地震から半年 窓口負担免除 患者の2割 継続が課題

 4月の熊本地震から半年、大きな被害を受けた住民や医療機関の現状は−−。武村義人副理事長が、熊本市内にある秋津レークタウンクリニック(熊本市東区)を訪れ、熊本県保険医協会の木村孝文会長に話を伺った。

被災者への窓口負担免除継続を
1828_01.jpg
熊本県保険医協会 木村孝文会長
【きむら たかふみ】1980年熊本大学医学部卒業。同大学医学部第一内科入局。その後、大阪府立羽曳野病院、熊本大学第一内科、熊本市民病院などを経て、90年より秋津レークタウンクリニック院長。2004年より同理事長。12年より熊本県保険医協会副会長。14年より同会長。専門は内科、呼吸器科
 武村 熊本地震は大変な被害でしたね。熊本に着いて周辺を歩きましたが、「危険」の赤い紙が張られている建物があちこちにあり、いまだに応急修理だけで営業している店も多数見かけました。
 木村 建物の修繕や解体作業が進んでいますが、熊本の業者だけでは追いつかない状況です。全国から作業員が来ていますが、まだ解体も始まっていないところも多くあります。
 当院は、熊本市で最大の被害が発生した東区秋津町や沼山津、最も被害が大きかった益城町や嘉島町も診療圏です。全壊・半壊以上の被害を受けた患者さんが非常に多く、8月のレセプトで22パーセントの患者さんの窓口負担が免除となっています。
 武村 一部負担金免除は被災者にとって、非常に大切だと思います。東日本大震災の後、宮城県では2年で打ち切られて、受診抑制が起きたということが、宮城協会の調査で明らかになっています。
 木村 被災した方に負担を強いるのは、非常に厳しいですよね。熊本でも、10月から証明書が必要になり、免除措置は来年の2月いっぱいと言われています。
 武村 継続求め、運動していく必要がありますね。
地域に根ざした診療所の大切さ
1828_02.jpg
聞き手 武村義人副理事長
 武村 この医院も、被害を受けられたんですか。
 木村 2階の天井と照明が落ち、カルテ棚や本棚、ロッカーなどがすべて倒れました。朝、スタッフがクリニックに来ると足の踏み場もない状態でした。
 武村 それは大変でしたね...。
 木村 そんな状態でしたが、診療に来た患者さんが一緒に片付けてくれました。自分の診療が終わっても手伝ってくれていて、本当に胸が熱くなりました。普段は車で10〜20分のところを、迂回して何時間もかけて来てくれる患者さんもおられ、地域に根付いた医療機関として、診療する大切さを痛感しました。
 武村 地域の医師は、普段から患者さんを診て、健康状態も生活状況も知っているので、顔色を見れば状態が分かるような関係が築かれていますよね。
 木村 ええ、地震後に兵庫協会の先生方が来てくださり、「避難所の人たちの医療は、かかりつけ医につなぐことが大事」だと聞きましたが、その通りで、地元に根ざしたかかりつけ医は安心感が全然違います。避難所で自衛隊やJMATの医療を受けていた方たちも1カ月ほどして来られ、「やっぱりここでないと」と言われます。万が一のときも、仮設でも診療を続けられることが大切ですね。
 皆さん、最初に来られたときは恐怖感が強く、がたがた震えておられましたが、話を聞くと、ぼろぼろ涙を流しながら「ここに来てよかった」と、安心した顔になって帰られました。
 武村 あれだけ余震が多いと、なおさら怖かったと思います。
 木村 本当に。いつまた余震が来るかという恐怖がずっとあり、車中泊の方が非常に多かったですね。私自身も1週間車中泊をしました。エコノミークラス症候群の予防が必要ということで、県外・県内の医師が協力して弾性ストッキングを3万足配り、必要な人にはエコーを行う体制を作りました。残念ながら、それでも入院された方はおられますが、あれだけの車中泊の規模からすると、被害を抑えることができたのではないかと思っています。
 武村 これまでの震災の教訓が生かされたのですね。現在の患者さんの健康状態はいかがですか。
 木村 当初は、便秘や不眠、高血圧が増えましたが、落ち着きました。気が張っていた状態から、生活をどうしようかと考えられる状態になってきて、1カ月ほど前にはうつ状態の方が増えましたが、だんだん落ち着かれ、前向きになってきています。
 武村 これから、被災者の方々の生活再建が課題になってきますね。
会員医療機関の36%が被災
 武村 会員の先生方も、さまざまな困難や被害があったことでしょう。兵庫協会の会員も皆、心を痛めています。
 木村 会員医療機関のうち、全壊が9件、半壊36件、一部損壊593件で、自宅損壊が720件と、開業医会員の36%が自院に何らかの被害を受けています。
 武村 一部損壊でも、医療機器の被害を含め大きな損害になりますから、再建まで大変な道のりだと思います。半年経ち、状況はいかがですか。
 木村 全壊医療機関のうち、閉院を決めた医療機関が2件あります。建物の建て替えを始めたところが予定を含め4件あり、他はまだどうするか検討中ということです。
 被害の特徴として、外見は無事のようでも、根本的な部分が壊れてしまっている建物が多いことがあります。ある医療機関は地盤沈下により、新館と旧館の継ぎ目のところで割れてしまいました。一部損壊の医院は、応急修理のまま診療しているところがほとんどですし、テナントも再入居の見通しが立っていないところが多いです。
 武村 厳しい状況ですね...。医療機関は地域のインフラと捉えて、公的な支援を行うことが必要だと思います。
 阪神・淡路大震災時には、医療機関への公的支援制度はほとんどなく、運動によって、もともと老朽化した病院再建のための補助金だった「医療施設近代化施設整備事業」を、被災医療機関の再建にも適用させ、民間の診療所にも補助金が出るようにさせました。さまざまな制約もありましたが、病院・診療所あわせ230医療機関に94億円という公費支援を得たことは大きな成果でした。これが今の災害補助金につながっています。
 木村 そういう経過でしたか。現在ある、厚労省の医療施設等災害復旧費補助金は、必要額の2分の1を補助する制度ですが、まだ調査にも来ないため、使うに使えない状態です。ある病院は、全壊した建物の横の駐車場に、新しい建物を建てようとしたところ、補助金が受けられないと言われたそうです。同じ場所に建て直さないと「移転」という扱いとなり、原状復帰ではないという理由です。
 武村 そんなことでは、再建はなかなか進みませんね。
 木村 そうなんです。別に、中小企業庁が行う中小企業等グループ補助金という補助金があり、2次募集で医療法人も対象となりました。こちらは4分の3補助する制度ですので、医師会・歯科医師会が窓口になり利用をすすめています。
 武村 問題も多く抱えながら、少しずつ改善している部分もあるのですね。使いやすい制度へ、さらなる改善が必要と思います。
 ところで、被災した熊本市民病院について、熊本市が病床を縮小しようとしていると聞きました。
 木村 ええ。市民病院は、移転計画が発表されましたが、現在の病院の許可病床556床に対し、移転後は380床程度に病床を減らすということです。大きな問題は、診療科が削減され、歯科口腔外科がその対象とされていることです。かなりの数の患者さんを受け入れていたので、なくなれば影響は大きいでしょう。
 武村 神戸市でも同じようなことがありました。震災復興をきっかけに先進医療研究を進め、経済的利益をあげようとする「神戸医療産業都市構想」が打ち出されました。そして中央市民病院を、市街から遠い沖合の医療産業都市に移転し、病床を削減し、先端医療のバックアップ病院にしたのです。市民のための病院が、先端医療のために使われるということになってしまいます。東日本大震災後、宮城県では「創造的復興」などと称して、「東北メディカル・メガバンク」というゲノム調査が計画されるなど、復興を名目として別の政策目的を持ち込んでくるので、気をつけなければいけません。
阪神・淡路から熊本へ
 武村 お話を伺うと、やはり阪神・淡路大震災と共通の課題が多くあると感じます。21年経ちますが、阪神・淡路大震災もまだ終わっていません。被災者に貸し付けられた「災害援護資金」は、連帯保証人がいなければ3%もの金利がかかり、その返済にいまだに多くの人が苦しんでいます。この金利は、東日本大震災ではゼロになったのですが、今回の熊本地震ではまた金利がつくことになりました。保団連としても、改善を求めていかなければと思います。
 木村 ぜひお願いします。地震直後から、保団連・全国の協会の皆さまには、大きなご支援をいただきました。本当に支え・励ましになっており、感謝しています。被災した会員に見舞金を渡した際、アンケートを同封したのですが、多くの先生が「震災直後に訪問された保団連の方に力づけられた。またお見舞い金も支えとなりありがたかった」と、感謝の言葉を書いておられました。
 兵庫から阪神・淡路大震災を経験した先生たちがすぐに駆けつけられて、人の温かさを感じました。私たちも今回の経験を生かし、痛みがある人たちに共感し、できることをしていきたいと思います。この経験を内面化することができるなら、この震災は決して無駄ではなかったと思えるでしょう。そういう風に、私自身も、熊本協会もなりたいと思っています。
 武村 見えない被害もまだまだ多く、息の長い道のりと思いますが、共にがんばっていきましょう。ありがとうございました。

2016年8月25日木曜日

「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」

「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」
復興へつながり活かそう
熊本の医師・歯科医師ら4人が報告

1822_06.jpg
会場からも被災地を訪問した経験など活発な意見が出された
 甚大な被害を及ぼした熊本地震から4カ月、被災地の人々が抱える医療・生活の課題とは−−。協会は8月6日、第25回日常診療経験交流会(10月30日、神戸市産業振興センター)プレ企画として「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」を県農業会館で開催。現地の医師、歯科医師ら4人が、発災直後の状況や医療的課題などについて報告し、95人が聞き入った。

 兵庫協会は4月の熊本地震の直後から、役員・事務局が地元協会や被災医療機関のお見舞い、被害状況の確認を行うなど、訪問を重ねてきた。本企画は、これらの経験から、地震直後や現在の生活と医療の課題を共有し、今後全国・各地域で連携を広げていこうと、熊本協会と保団連の協力を受け、開催したもの。
 熊本市東区にある本庄内科病院の本庄弘次院長(熊本協会常任理事)は、地震により病院のスプリンクラーが誤作動し全館が水浸しになるなど、大きな被害を受けた。スタッフの安否確認も難しく、待合室には近所の住民が避難している中、病院としての機能発揮が求められ、一時デイケアを休止するなどの対応で診療を継続、入院機能も保持することができたと、振り返った。そして、医療機関の復興のため、院内に復興対策委員会をすばやく立ち上げ、問題や改善点を共有する体制をつくった経験から、職員の不安解消をはかり、各職場の復興計画は職員自身が考えていくことが大事だとした。また、保団連・協会の迅速な訪問、募金に、感謝の言葉を述べた。
1822_07.jpg
被災経験を語る(左上から時計回りに)本庄弘次先生、山口彩子先生、ディヌーシャ・ランブクピティヤ氏、村本奈穂氏
 歯科医師の山口彩子先生(菊陽町・菊陽病院)は、災害時の歯ブラシの効果として、誤嚥性肺炎、歯周病・虫歯予防に加え、日常的な動作を行うことで平常心を取り戻す効果もあるのではとの考えを示し、橋やトンネルなどが崩落し、交通が遮断された南阿蘇村で、医療チームとともに、避難所、介護施設を訪問した経験を語った。
 南阿蘇村の村本奈穂氏(歯科衛生士・介護老人保健施設リハセンターひばり)は、誤嚥性肺炎を防ぐことが歯科衛生士である自身の役割であると考え、避難所や介護施設を回ったことを紹介し、被災者に対する口腔ケアでは、住民の方の話を傾聴し、共感することが大切だと述べた。
 スリランカ出身のディヌーシャ・ランブクピティヤ氏(崇城大学専任教員、比較社会文化)は、4月に熊本へ引っ越した直後に地震に遭い、家族とともに小学校に避難し、長期にわたり車中泊を続けていた。避難所で外国人として孤立感や不安を感じたこと、声を掛け合い、互いに助け合うことの大切さを感じ、避難所でスリランカカレーを作って配り、励まし合った経験などを語った。

〝人災は防げる〟杉山保団連理事が発言
 ゲスト・コメンテーターとして、被災直後から何度も被災地を訪れている杉山正隆保団連理事(福岡歯科協会副会長)が発言。地震は天災だが人災でもあり、熊本地震では行政などが「初めて」だからと対応が不十分だったなどと発言しており、これまでの阪神・淡路や東日本大震災の経験があまり活かせていないと指摘。そして、震災の経験をつなぎ、保団連も国に被災者支援を求めていくと語った。
 JMAT兵庫に歯科医師として初めて参加した、足立了平兵庫協会理事(神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科教授)が特別発言し、阪神・淡路大震災で誤嚥性肺炎が蔓延し、震災関連死を生んでしまった反省から、災害時の口腔ケアの重要性を知らせていくことをライフワークとしているとして、災害は努力で軽減できると強調した。 

2016年8月5日金曜日

特別インタビュー 熊本地震から4カ月

特別インタビュー
熊本地震から4カ月−− 被災者の健康 口から守る

熊本市中央区役所課長補佐 吉良 直子先生

1821_02.jpg
【きら なおこ】1954年北九州市生まれ。81年九州歯科大学卒業、83年熊本市役所入庁。食べることの支援をライフワークとしている。熊本県保険医協会理事
4月中旬に起きた熊本地震からまもなく4カ月。被災地の今とこれからの課題とは−−。被災直後から、行政の立場で避難所設置や運営などに関わり、被災者をめぐるさまざまな課題と向き合ってきた、歯科医師の吉良直子先生(熊本市中央区役所保健子ども課課長補佐・熊本協会理事)を加藤擁一副理事長が訪ね、お話を伺った。

課題多かった避難所の運営
加藤 大変お忙しいところありがとうございます。地震から20日ほど経った5月初旬にこちらを訪問して以来ですね。発災から3カ月が過ぎ、行政の立場から見て、状況はいかがでしょうか。
 吉良 落ち着いてきた一方、これからのステップに向け、新しい課題が出てきています。
 発災から振り返ると、4月14日の前震から、16日の本震までの3日間、ライフラインは断絶し、皆がパニックに陥り、市が開設した避難所でも問題が頻発しました。仮設トイレに紙を流しつまる。和式トイレしかなく、高齢者や身体の不自由な人が「使いづらい」と水分を控えて体調が崩れ、持病が悪化する。医療機関の体制やアレルギーへの対応、物資の提供など、反省点が数え切れないほどあります。
 その後の1週間、ライフラインが復旧しコンビニも再開、物資が余るようになりましたが、肺炎や感染症、エコノミークラス症候群が出てくるなど、急性期の課題が目立ちました。
 口腔内については、睡眠不足や唾液の減少によると思われる口内炎が多発し、被災前から必要だった歯科治療のニーズも顕在化しました。また、避難所での性暴力が増えたのもこの時期です。
 1カ月が過ぎるころから、保育園・幼稚園、健診を再開してほしいなど、課題の中心が生活支援になってきて、いま避難所の収束が大きな課題になっています。
 加藤 甚大な被害のなか、ご苦労が本当に多かったことと思います。震災後に出てくる課題は、阪神・淡路と共通の部分が多くあると感じます。5月にお会いしたとき、実は先生ががんばりすぎて倒れてしまうのではないかと心配でした。
 吉良 地震からしばらくは徹夜しても全く眠くならず、気を張っていて疲労に気づいていない状態でした。兵庫の先生方が来てくださり、阪神・淡路大震災時の経験・ご意見を聞け、力を抜くことができましたし、保険医協会のつながりの強さを感じました。本当にありがたかったです。
 加藤 災害時の口腔ケアが、被災者の健康維持に非常に重要だと、阪神・淡路大震災以来、言われるようになりましたが、歯科医師の立場から見られて、今回の地震後の対応はいかがでしたか。
 吉良 医療チームのなかで、口腔機能の低下が命に関わるという意識がなかなか浸透していなかったと感じました。検査項目に歯科に関わる項目を入れておくなどの対応が必要だったのではと考えています。
 加藤 医科・歯科の連携が大切になってきますね。
 吉良 保険医協会ではいつも強調されていますが、本当に重要だと実感しました。

1821_03.jpg
聞き手 加藤 擁一副理事長
1821_05.jpg
「ベロタッチ」を知らせるために作成されたチラシやDVD(制作:「くまもと歯っぴーかむカムひごまる協議会」)
「ベロタッチ」で元気出た
吉良 私自身は災害医療の健診票や記録票などを用意しシミュレーションしていたつもりですが、いざ現場に立つと全然違いましたね。最初、避難所で「口の中は大丈夫ですか?」と聞いても「大丈夫です」と言われ、口の中を見せてもらうことがなかなかできず、歯ブラシを配るくらいしかできませんでした。福岡歯科協会の杉山正隆副会長に「寄り添って、話を聞きニーズを取り上げることが大切」と教えていただいたことが転機になり、少しずつ口を開けてくれるようになりました。
 今は災害時の口腔ケアの大切さについて、住民の方に話し、歯科医院にかかってもらえるような機会を作ろうとしています。熊本の地元紙である熊本日日新聞が応援してくれ、私が力を入れている「ベロタッチ」を特集してくれました。
 加藤 先日初めてうかがって、非常に興味を持ちました。
 吉良 歯磨きのついでに簡単にできる健康法として紹介しているもので、舌の先端と3分の1より前の両側を2〜4回、歯ブラシでやさしくタッチするんです。
 加藤 私も試してみましたが、じわーと唾液が出てきますね。
 吉良 もともと、私が発達支援室にいたときに、子どもが食べない、話さないというお母さん方の悩みに何かできないかと考え、生まれたもので、市民団体を中心に、冊子やDVDを作成するなどして普及を進めていたものです(右図)。
 舌を刺激すれば脳の血流量が増えますが、これまで治療や機能訓練で触ることは少なく、熊本大学の発達小児科の先生に効果がある可能性があると言われ、患者さんに試していただいています。九州歯科大学の柿木保明教授や福岡歯科大学の尾崎正雄教授にも効果を調べていただいています。
 「う蝕治療の際に嘔吐反射がなくなった」「舌が動くようになった」などの声を聞いています。2013年からは水俣市の1歳、3歳児健診で導入されています。
 加藤 舌はもともと感覚器として鋭いですからね。
 吉良 そうなんです。実際、避難所で「眠れない」と言っておられた方の口腔内を見せていただくと、口腔乾燥で、口腔マッサージやベロタッチを紹介したところ、「唾が出るようになり、眠れるようになった」と喜んでいただいたケースがありました。
 それと、動かないためにサルコペニア(筋肉量の減少)になってしまっている方が多く、運動の必要があるということで、私たちが考えた「ベロタッチ体操」もすすめています。
 加藤 大事な予防活動ですね。
 吉良 地震直後、自分は何の役にも立たなかったと思っていたのですが、地域で今、住民の方とお話していて「この話を持って帰ったら皆元気になるわー」と言ってもらって、やっと自分の果たすべき役割が分かってきたように思います。
 加藤 先生が、震災前から築いてこられた住民の方々との関係が生きてくるのだと思いますよ。
 今回の熊本地震で、先生の役割は非常に大きいと思います。開業医は開業医として、先生は行政として、それぞれがんばられたら相乗効果を発揮するんじゃないかと思います。
1821_04.jpg
災害時の口腔ケアの大切さや今後の課題など話題が尽きなかった
窓口負担免除続けてほしい
加藤 3カ月経っても、いまだに県下で約5千人、熊本市内で千人弱が避難所で暮らしているんですね。
 吉良 ええ。熊本市内では、多くの方が自宅に戻られる中で、残った方の生活支援をどうするかが課題になっています。避難生活は一時的なものであり、決して長期化すべきものではありません。アルコール依存症や栄養の偏りなどの問題が出てきてしまいます。どうすべきか、職員も知恵を絞っているところです。
 加藤 一人ひとりのプライバシーを確保できる仮設住宅の整備が求められますね。
 吉良 ええ。家が全壊してしまった方たちの不安は非常に大きく、心配です。また、熊本は地震の被害がないということで、大企業を誘致していた面がありますから、地域経済も、今後どうなるか不透明です。
 加藤 先日、保団連の代議員会で、岩手協会会長の南部淑文先生が震災復興・生活再建は「医・職・住」と言っておられました。医療と職業と住宅が大事な点だと。震災では、社会的弱者が復興から取り残されてしまいます。私たちは、医療の面で役割を果たしていかないと、と思います。
 吉良 その通りですね。これから、アルコール依存症やうつ病による自殺などの震災関連死が問題になってくるでしょう。医療費の窓口負担免除措置も、長く続けていただけないかと思います。家も職業もないときには、負担が気になって医療機関にかかれないでしょう。
 加藤 東日本大震災の後、地元の協会の先生方が中心になり、免除措置継続を求めて運動をずっと続け、一部とはいえ制度を継続させています。震災復興は長期戦です。兵庫県でも、阪神・淡路大震災は21年経ちますが、借金問題や借り上げ復興住宅からの追い出し問題など、震災はまだまだ終わっていません。
 熊本の先生たちとともに、息長くがんばっていけたらと思います。本日はありがとうございました。

2016年6月6日月曜日

熊本地震・現地レポート4

同行した久田ゆかり氏(看護学生)のレポートを掲載する。

本震ではマグニチュード7.3、震度7、体に感じる震度1以上の地震は1500回を超している熊本地震。

熊本県保険医協会の会長は、職員自身も被害にあい、通常業務もままならない。管内には地震発生から二週間経過した時点でも、各々の場所に避難者が散らばり把握しきれない数の車中泊の方がいると疲れたように話した。今後、被災した医療機関が復興して地域医療を担っていくという大前提のもと、他府県の医療関係者がそれをどう支援していけるのかを議論した。

地震発生直後から現在までの支援、市民の反応、そして、これからも変わらず長く続けていかないといけない援助の今後への反省点を、詳細な資料とともに担当者から聞いた。行政として、公の組織という縛りのある中での援助は、組織であるがゆえの臨機応変に対応できない担当者のジレンマと迅速な対応を求める被災者との確執が浮き彫りにされた。また、ここでは担当者自信が支援者自身が被災者であり、自分を奮い立たせるかのように話される中に、自身も受けているであろう大きなストレスが感じられた。

今回の地震で一番被害の大きかった益城町では、倒壊した家屋があちらこちらにあった。 一見しただけでは何処に不具合があるのか分からない建物に関しても、よく見ると『危険』であることを示す赤い貼り紙が貼られてある家も多かった。道路は隆起し、ぱっくりと割れ目が続き、自然の大きな力が容赦なく加わった跡がある。 神戸市から災害派遣で来たゴミ収集車は木屑の山などの収集に奔走していた。また、余震に怯えながら、落ち着かない様子で片付けに追われながらも近所の方と声を掛け合う地域の住民がいた。

益城町最大の避難所『総合体育館』では、ダンボールのベッドで辛うじて自分のスペースを確保。目隠しさえない体育館で多くの避難者が喧騒の中で、コミュニケーションをとることもなく疲れたような様子を見せていた。高齢者の女性に、「疲れたまってないですか?」と声をかけたところ「慣れたよ。」との言葉が返ってきた。疲れているであろう本音を隠している気がした。

今回の訪問で、ハード面、メンタル面、全てにおいての継続的で、被災者の方の心に寄り添いつつ、それぞれの役割で自立していける継続的な支援が必要だと改めて感じた。

熊本地震・現地レポ-ト3


同行した松元伊万里氏(歯科衛生士)のレポートを掲載する。

熊本県被災地を訪問して


2011年3月11日東日本大震災、連日報道されるニュースで流れる映像に胸が痛みました。
いつかまたこのような災害が起こるとわかっていながらも、関わることはないだろうと思っていました。

今回の熊本での地震でいつ災害が起こってもおかしくない状況なのだと改めて実感し、もし身の周りで今回のような災害が起こった場合どう行動するべきか、また何ができるのかもっと現状を知っておくべきだと思い被災者である熊本へ行かせてもらいました。

まず被害状況について伺い、自宅倒壊や断水等の理由により現在も1万6000人以上が避難生活を送っており、今も続く余震に怯え眠れない方が多いと聞きました。5月14日の地震から1か月経とうとしていますが、災害による怪我など緊急を要すること以外にも不安やストレスなど精神面にも影響が出てきているようです。

益城町へも足を運び町の中を見てまわりました。
住宅のほとんどが倒壊して元の状態がわからない家が多く、災害の恐ろしさを目の当たりにし衝撃を受けました。道は以前に比べると通れるようになったそうで、外で子供が片づけを手伝っていたりしていました。

避難所へも行き中へ入らせてもらいましたが医療テントや歯科相談の他にも足のマッサージや手品ショー、カフェなどボランティア活動は比較的手厚い印象を受けました。しかし食事や物資の不足はある程度改善されているものの、ホールだけでなく廊下にも避難している人があふれている状況でした。仕切りがなくプライバシーのない環境で何日も生活しているのはとても耐えがたいと思います。一刻も早く元の生活に戻れたらと感じました。その為に周りの協力がとても必要になるということ今回学びました。歯科としてはやはり口腔状態を見たい気持ちもありましたが、大事なのは不安を取り除き感情を支え寄り添うことだと広川先生がお話されていました。

被災された方にとっては長い避難生活が続いておりボランティアする側は限られた時間でしか介入できませんが、その行動が少しでも復興に繋がると信じ何らかの形で復興のお手伝いをしていきたいと思いました。

熊本地震・現地レポート2

兵庫県保険医協会は、5月7日・8日、熊本地震の現地を訪問した。
同行した平田高士京都歯科協会理事のレポートを掲載する。

熊本地震医療支援に参加して


95年の阪神淡路、2011年の東北の時の「とにかく現場に行く」という思いを胸に熊本に行ってきました。95年1月19日阪急西宮北口から歩き始めたときの言葉では言い表せない程の衝撃、そして2011年4月に石巻で感じた絶望感、そして今回はまさか3度目があるとは、という驚きが現地に向かうきっかけになりました。

九州新幹線に乗って熊本駅に近づくと屋根のブルーシートがちらほらみられるようになりました。熊本駅を降り車を走らせると一見何もなかったようにさえ感じた駅前とは裏腹に、倒壊した建物が所々に見られるようになります。初めに訪れた熊本県保険医協会では会長の木村先生、副会長の徳永先生、事務局長の鈴木さんから地震直後からの県内の状況について説明を受けました。避難している住民は1400回を超える余震のせいで家で眠れない方が多く、車中泊によるエコノミークラス症候群が5月8日朝までに48人発症、またパニック障害の患者さんや、不眠、やトイレへの心配から水分を控え便秘を訴える方が多く、下肢のむくみや血圧上昇などの症状も多くみられるそうです。

2日目は熊本市中央区役所に向かい、保健子供課に勤務されている歯科医師の吉良直子先生から住民の健康状態やご自身が被災直後から経験され行動された事柄について説明していただきました。

その内容は、

14日の午後9時26分の発生から63ヶ所の避難所を開設していたが、住民が自主的にばらばらに避難していたこともあり市役所としては把握できなかった。
その後学校再開の必要性もあり避難所は4箇所に集約する方向で動いている。
当初は毛布がいきわたらず、寒さもあり眠れない住民も多かった。
災害時に必要だったのはメガネ、入れ歯、洗面用具やグローブなどのほかに、着替えを用意しておくことはとても大事だと感じた。
トイレは紙が詰まるので紙を流さないことを徹底する事が重要である。
被災直後から3日目までは実際問題として、食べ物はないと思っておいたほうがいい。
2日後の本震で心折れた人が多かった。
感染症対策のため避難していた体育館を早く土足厳禁にすればよかった。
水は200ccを一日二回配給したが円滑に配給するために備蓄の中に紙コップがあればよかった。
3日目から便秘やむくみの相談が多く寄せられたが、医療機関が無料でかかれるということが周知されていなかったため受診を控える人が多かった。
アレルギーの子供の食べ物がなく、硬いパンなどの食べ物は老人には食べにくいのでゼリーのようなものは重宝した。
避難者どうしの協力体制がとれているところは避難所の運営がスムーズに行っていた。
避難所になっていた小学校には洋式トイレが少なくポータブルトイレが役に立った。
サランラップが食品の保存や傷の処置などいろいろな用途で役に立った。
避難所では行政が介在しながらいろいろな専門性をいかして役割分担をし、それを支えるボランティアの存在が必要だった。
3ー5日の間に自衛隊の応援が入りこのころになるとSNSの情報で物資の偏りを感じ不平不満が生まれだした。
なかなか表には出ないが性暴力の問題は後々まで心の傷になるので気をつけなければいけないのだが、男性スタッフでの対応では充分できなかった。
すべてを行政に頼るのでなく、避難者同士が協力して掃除当番などの役割を担うべきではないか。
1週間以降は物資が供給され避難所格差が生じてきた。
5-10日でエコノミークラス症候群が出始めた。外からの調査隊が大量に入ってきてその中に不審者がまぎれて、空き巣などの心配も増えてきた。

吉良さんの話を聞いていると役所の人たちの奮闘が伝わってきました。ただ長期戦になった場合地元の人たちの体力や精神力がどこまで持つのだろうという心配になりました。

午後からは激震地帯であった益城町に向かいました。東区を抜け益城町が近づくと、住宅に張ってある紙が黄色から赤が増え、阪神のときにも目にした「まさに瓦礫になってしまった住居」が目立つようになりました。
町中に積み上げられた瓦礫を含むごみを神戸市のゴミ収集車が回収に回っているのはとても印象的でした。
益城町は役場が被災し避難所となる大きな施設が少なく、町の中を見て回った後は避難所になっている益城町総合体育館に向かいました。体育館の周りには医療班のテント、歯科医療相談コーナー、足のマッサージコーナーそして自衛隊設営の銭湯と東北で見たのと同じ光景が広がっていました。
ところが避難所の中は一部の高齢者の方はダンボールベッドの上に布団を敷いておられましたが、ほとんどの人はウレタンマットの上にじかに毛布が敷かれており、まだ間仕切りもできていない状態でした。
被災者の方に話を聞くと物資や食べ物は充分足りており、とくに今必要なものはないとのこと。駐車場には夜間の車中泊のための場所を確保するためのペットボトルが多く並んでいました。われわれが滞在した短い時間の中でも何回か余震があり、その状態が3週間以上続いていることを考えると、住民の方々の不安の大きさは計り知れないものだと感じました。

今回の熊本訪問で再度感じたのは、この国そして地球規模で見ても、「災害に強いまちづくり」は実際不可能であり、いつどこでどんな災害にあってもそこを何とかして生き延びるスキルを今までの経験から身につけるしかないのだということです。
そしてそのために物心両面での備えと、日ごろからの健康を維持していくことがとても大切だと感じました。私たちはそこをほんの少しお手伝いできる可能性があります。
そしてそこを一歩進めて、災害の起こった後、自力で健康を維持できず、慢性的な心や体の病から生命の危機にさらされる人たちに寄り添う役割の一端を果たせるように、これまでの経験を集約しそれを元に学習していかなければならないのです。
今回は幸いなことに川内原発は地震で損傷し爆発する悲劇は起こりませんでした。ただいろいろな場所で連動する地震が続いており、川内原発が第二の「フクイチ」にならない保障はどこにもありません。私たちはそこは充分学んだはずです。国民をだまし続けてそして大切なものすべてを奪う原発は許してはいけない、そして経済発展より健康で安心な社会こそがこの国の目指す姿だと再認識しました。

熊本地震・現地レポート1

阪神・淡路大震災の被災協会として経験伝え支援しよう−。4月14日以降に震度7の強い地震が連続して起こり、死者49人、関連死19人など熊本県を中心に大きな被害が広がっている。兵庫協会は4月23日の理事会で、被災地への役員・事務局員の派遣など、熊本協会への協力を確認。4月24日から現地訪問を開始し、会員医療機関の被災状況確認など、活動を行っている。

5月7日・8日には広川恵一顧問・加藤擁一副理事長、林功先生(西宮・芦屋支部)、藤田誠治事務局長、石本紳二・楠真次郎事務局次長、山下友宙事務局員が現地を訪問。また、杉山正隆保団連理事、平田高士京都歯科協会理事らも同行した。7日には、熊本協会の木村孝文会長らと懇談し、被災状況や阪神・淡路大震災の経験などを交流、見舞金を手渡した。西山理事長も電話で木村会長にお見舞いと継続した支援を表明した。8日には、熊本市中央区役所を訪ね、吉良直子課長補佐から状況をうかがい、意見交換した。
5月9日以後も事務局員を派遣し、被災医療機関の訪問を行っている。

参加した林功先生のレポートを掲載する。

1.概況

平成28年5月7日に往路は新幹線にて新神戸より出発し、熊本駅からレンタカーで被災地各所を移動した。復路は航空機にて、熊本空港より伊丹空港に戻り現地解散となった。被災地のインフララインは、幹線道路に関しては概ね復旧が進んでいる。架橋の補強工事も進んでおり、各都道府県より派遣された警察官が交通整理にあたっている。交通は比較的スムーズであった。しかし余震が多く、被災市街地道路においては、道路周辺の住居の土手、外壁の崩落が進んでいて危険な地域が多い。
訪問した益城町では全壊家屋が多く、被災住民の生活の復旧は目途の立たない状況であった。益城町総合体育館における被災住民の、避難生活は3週間にわたっている。プライバシーの確保の問題、衛生面における感染予防対策、高齢者や身体障害者における配慮、住居環境の改善などの問題は、避難所関係各位の賢明な努力で改善されていた。しかし性暴力の問題や、エコノミー症候群の発生、避難所間における待遇格差の問題、行政と住民の渉外問題など、これから取り組まないといけない課題も多く散見した。
熊本地震の避難状況の特徴として、余震が続く中、屋内倒壊の恐れから車中泊する避難者が多い事があげられる。車中泊者に関する支援も今後考えていく必要がある。
被災会員の保団連における訪問調査では、名簿252件に関して、訪問件数74件、全壊6、半壊7件、一部損壊37件、孤立状態で訪問不可も2件報告があった。益城町では診療再開困難な全壊クリニックも多く、今後被害状況全容の把握が急がれる状況である。

完全に倒壊した住宅(益城町2016/5/8)

避難所となっている益城町総合体育館(2016/5/8)


熊本県保険医協会を訪問、懇談した

2.今後の課題

各避難所の衛生面の更なる配慮、地域コミュニティと行政との協調、在宅避難者の健康管理や医療福祉支援、通常の地域医療への移行、高齢者や障害者への避難生活への支援等課題は多く残っていると思われる。

熊本市役所にて吉良課長補佐(右端)と懇談した


3.謝辞

忙しい中お時間を割いて頂いた熊本県保険医協会木村会長、鈴木事務局長、徳永副会長には現地の詳細な被害状況をお聞きすることが出来ました。熊本市役所子ども課吉良課長補佐には歯科医師の視点から避難所における行政の課題のレクチャーを頂きました。被災今回の訪問をコーディネーターして下さった保団連の杉山理事には同じ会員として頭の下がる思いです。今後しっかり支援の輪を繋げていきたいと考えています。またこのような機会をお与えて下さった広川顧問には感謝申し上げるとともに、貴重な学びの機会をしっかり今後に活かしていきたいと考えています。この場を借りて、関係者皆様に感謝申し上げます。

2016年5月15日日曜日

被災医療機関・地域の復興に募金のご協力を

2016.05.15
被災医療機関・地域の復興に

募金のご協力を
兵庫県保険医協会理事長 西山 裕康
 マグニチュード7.3、最大震度7の強い地震が4月14日・16日、熊本地方を襲い、大きな被害が出ています。
 熊本県が発表した人的被害では、死者49人、関連死17人、避難者2万6千人以上となっており(4月末時点)、消防庁発表では被害確認分だけで全壊2111棟、半壊2414棟、一部損壊が9592棟あり、分類未確定の被害は1万7746棟にのぼっています。引き続く大きな余震に、いまなお地域住民は怯えながら不自由な避難所生活を強いられています。
 こうした中で、熊本協会の会員をはじめ、多くの医療機関が被害を受けています。地域住民の健康と命を守ってきた医療機関の機能を一刻も早く復旧させ、地域の医療提供体制を確保することが、なによりも求められています。
 兵庫協会では、震災直後から役員や事務局員を現地に派遣し、熊本協会とともに会員医療機関の訪問や安否確認、避難所での相談等の活動を行っています。
 阪神・淡路大震災を経験した兵庫協会から、連帯の気持ちを込めた募金を熊本協会に届けたく、先生方にご協力を呼びかけるものです。募金は熊本県保険医協会に届け、被災した会員医療機関へのお見舞いや復興に向けたさまざまな活動に役立てていただきたいと考えています。ぜひともご協力をお願いいたします。
募金受付:郵便振替口座 00910-2−150366 兵庫県保険医協会