2017年2月17日金曜日

特別インタビュー 南阿蘇村の現状

特別インタビュー 熊本地震 南阿蘇村の現状
地震を通じ地域医療の課題明らかに

1837_01.jpg
インタビューを終えて、皆で記念撮影。前列が村本奈穂氏、後列右から田村尚子先生、山口彩子先生、広川恵一先生、加藤擁一先生、二胡奏者の劉揚氏、同マネージャーの司馬君子氏(2016年12月25日、リハセンターひばりにて)
1837_02.jpg1837_03.jpg
インタビュー前には、リハセンターひばり入居者に対する、二胡奏者・劉揚氏(左)による演奏会が行われ、入居者は二胡の調べに聴きいった
 昨年4月の熊本地震で大きな被害を受けた熊本県阿蘇郡南阿蘇村。加藤擁一副理事長と広川恵一顧問が、昨年12月25日、村内にある介護老人保健施設リハセンターひばりを訪れ、同施設の歯科衛生士である村本奈穂氏と、歯科医師の山口彩子先生(菊陽町・菊陽病院)、田村尚子先生(南阿蘇村・さくら歯科)に、震災後の村内の状況や課題等についてインタビューした。









アクセスが寸断され救急などに課題
 加藤 4月の熊本地震から、8カ月が過ぎました。本日は南阿蘇村の現状について、歯科に関わる皆さまからお話を伺いたいと思います。
 広川 8月6日に兵庫協会で行った日常診療経験交流会〈震災プレ企画〉で、山口先生と村本さんには、地震当時の状況や課題、当時の思い・取り組みについてお話いただきました。田村先生とお会いするのは初めてですね。地震直後から現在まで振り返られて、いかがでしょうか。
 田村 私は、この南阿蘇村で開業していますが、もともとこの村の出身ではありません。開院から10年、村民の方と少しずつ関係を築きながら診療してきました。今回の震災では電気も水道も止まり、医院の機械類も壊れてしまって修理を繰り返すことになり、本当に大変でしたが、震災をばねにして住民の方と密な関係を築けたという思いがあります。ただ、当院は再開できましたが、地震で地盤が危険だということで閉院された歯科医院もあり、深刻な状況です。
 阿蘇大橋と俵山トンネルが崩落し、村外へのアクセスが寸断されてしまったことが特に困りました。以前は、週に2〜3回、勉強会や買い物のため熊本市内に行っていたのが、できなくなりました。昨日やっとトンネルが開通し、少しずつ日常生活に戻っていけるのかなと感じています。
 加藤 大変な状況ですね...。山口先生はいかがでしょうか。
 山口 私はこの南阿蘇村に住んでいて、村の西側にある菊陽町の病院に勤務しています。道路の寸断により、迂回路は一度標高100メートルまで上がり80メートル下がるような高低差の大きいルートで、毎日の通勤に1時間半ほどかかり、非常に苦労しました。トンネルが開通して、20分は短縮され、本当に安心しています。
 この村で働いているわけではないので、これまで村内に医療・介護関係の知り合いはそれほど多くなかったのですが、地震をきっかけに知り合いが増えました。村本さんや他の看護師さんなどともつながりが広がり、いろいろな話を伺って、10年後、20年後の村の医療・介護を考えたとき、このままではいけないと感じています。たとえば、救急搬送は相当不便を強いられている状態だそうです。地域の中核病院だった阿蘇立野病院が地震で休院を余儀なくされており、天気のいい日は原則ドクターヘリを使いますが、悪天候の時や夜間は使えません。救急車で1時間以上かけて、阿蘇市や熊本市の病院まで搬送しなければいけないそうです。トンネル開通で搬送時間は多少短縮しますが、不安な状況は続くと思います。
 ですから、私は田村先生、村本さんをはじめとする村の医療・介護関係者に聞いたお話を発信していかなければならないと感じています。
日常的な医科・歯科連携の重要性を実感
1837_04.jpg
菊池郡・菊陽病院
歯科医師
山口彩子先生
【やまぐち さいこ】2004年九州大学歯学部卒業、福岡医療団千鳥橋病院附属歯科診療所研修、倉敷医療生協水島歯科診療所研修、現在は熊本にて芳和会菊陽病院歯科診療部長
1837_05.jpg
南阿蘇村・リハセンターひばり
歯科衛生士
 村本奈穂
【むらもと なほ】1982年熊本県阿蘇郡長陽村(現南阿蘇村)生まれ。2003年熊本歯科衛生士専門学院卒業。熊本県大津町役場健康福祉課・地域包括支援センター、福岡県・吉川歯科医院、熊本県伊東歯科口腔病院、南阿蘇村・あい歯科クリニック勤務を経て、16年4月より現職
1837_06.jpg
南阿蘇村・さくら歯科
院長 歯科医師
 田村尚子先生
【たむら なおこ】1962年熊本県阿蘇郡生まれ。九州歯科大学卒業。2007年南阿蘇村にさくら歯科開業、現在に至る
 加藤 村本さんはいかがですか。
 村本 まず、地震直後のお話からさせてください。私は4月1日からこの施設に入職しましたが、地震直後は、道路が寸断されてここに来ることができず、当施設の母体である阿蘇市の大阿蘇病院に行きました。大阿蘇病院には歯科衛生士はおらず、看護師・介護士の方々が、患者さんの排泄処理後、口腔ケアを必死でされていました。皆さん、消防団や地区の炊き出しなどをしながら、夜勤もされているという大変過酷な状況でした。「私は歯科衛生士なので、口腔ケアは残しておいてください」と伝え、一日中口腔ケアに駆け回りました。初めてお会いする方々ばかりで、普段ならできなかったと思いますが、被災者という連帯意識のようなものがあり、すごく勇気がわいたんです。
 このとき、看護師長さんが朝礼で言われた言葉が非常に印象に残っています。「DMATの人が来ている間、皆さんは少し休みましょう」「皆さんに感謝しています。きついときは手をあげて隠れて寝ていいです。あなたたちが大事」と、気遣った言葉をかけてくださいました。また、余震が毎日続くなかで、初対面のスタッフの方たちとも「明日も生きて仕事をしようね」とハグや握手をして帰るんです。ある種の連帯意識を形にして、互いを思いやる。これが本来の医療人のあり方、医療の原点なのではと感じました。
 加藤 阪神・淡路大震災の頃を思い出します。ただ、あの頃と比べると、熊本地震では被災者への口腔ケアをがんばっていただいて、誤嚥性肺炎は劇的に減ったのではないかと思います。阪神・淡路のときは、震災関連死の4分の1が肺炎でした。寒い季節ということもありましたが、災害時の口腔ケアの大切さが明らかになっていませんでした。
 村本 リハセンターひばりでは、被災の中、半分以下の職員しか来ることができないなかでも、入居者への口腔ケアにしっかり対応できたので、誤嚥性肺炎が出ませんでした。この点は達成感を持っています。
 地震とその後の経験を通じて、普段からの医科・歯科連携の大切さを痛感しました。歯科衛生士がもっと、その連携や介護・福祉の現場で役に立てるように、勉強しなければと気づかせていただきました。そのために、もっと身体全体を知り、他職種の仕事を知ること、顔の見える関係を築いていくことが大事だと思いました。たとえば、歯科衛生士は義歯の磨き方は分かりますが、脳梗塞で半身麻痺の方の義歯が清掃不良となっている場合のアプローチは、作業療法士の得意分野です。
 今は週に2回ほど、熊本市内まで勉強に行く時間を作っています。すると、この施設の仲間である、理学療法士や介護士の方も一緒に参加してくれるなど、少しずつ輪が広がっています。一緒に車に乗ってしゃべりながら、山を越えて勉強会に行くことでコミュニケーションがとれ、つながっていくことが地域の医療・介護連携ではないかなと思い始めています。
 広川 職種の間にしきりを設けず、つながりを広げているんですね。
 村本 はい。これまでつながりのなかった地域の歯科医師の先生方にも勇気を出して、「当施設で勉強会をします」とメールをお送りし、来ていただけました。そうして顔が見える関係を築けたことで、利用者さんにトラブルがあったときにかかりつけの歯科医師の先生に一本電話を入れることができるようになりました。
 こんなことも、地震がなかったら、勇気がなくてできなかったと思います。地震でつらかったけれど、地震をきっかけとした人の出会いを大切にして、皆で力をあわせてよりよい社会にしていくために、自分が心に明かりを灯すことで隣も灯していって、ちょっとずつ皆が明るい村になればいいと思っています。
 加藤 震災それ自体は大変不幸なことですが、そこで得られたものは貴重なものだったと、私の経験を思い返してもそう感じます。





歯ブラシを持って仮設住宅を訪問
 加藤 被災者の生活は今どうなっているのでしょう。昨日、熊本市内で本庄弘次先生(熊本協会常任理事、本庄内科病院院長)や板井八重子先生(熊本協会副会長、くすのきクリニック院長)、吉良直子先生(熊本市中央区役所・歯科医師)にお会いしました。病気にたとえれば、「急性期」は脱したが、「慢性期」の課題が山積しているとお聞きしました。県内の避難所も11月末で全て閉鎖されたそうですね。
 山口 私は精神病院に勤務する歯科医師ですので、患者さんの状況について直接は分かりませんが、震災後、アルコール依存症の方が悪化したり、状態が悪化して入院するという方がおられると聞きます。
 村内では、8〜9月頃から、避難所にいた方が仮設住宅に移りました。仮設でのくらし・健康状況などが課題になってきますが、村本さんは、そこで大活躍されているんです。
 村本 ありがたいことに、全国の皆さんが歯ブラシを絶え間なく送ってくださいます。その歯ブラシを持って、「全国から届いたものですよ」と仮設住宅を訪問しています。特に、一番被害のひどい長陽地区が私の出身地で、2年ほどその地域の歯科医院にいたので、治療のアシスタントをしていた患者さまが多く、リスク部位など口の中の状態が分かります。さらに、住んでいる方のほとんどが知り合いのおじいちゃん、おばあちゃんなんです。知った人が、全国からいただいた物資を持っていくと、元気が出るかなと思っています。
 それから、「歯科検診」というと、皆さん構えてしまいますが、口は食べて、笑い、しゃべるところです。ただ集まってしゃべってもらったらいいんじゃないかと思い、乳幼児健診の仕事をしていたときに知り合った助産師さんがフルートの演奏をされるので、フルートの演奏会と、全国からの歯ブラシを配るということで集まってもらいました。すると、皆さん3時間くらい話をされて帰られないんですね。そういうきっかけ作りに、歯科はまだまだ役に立てると感じています。
 入居者の方からはいろいろなお話を聞きます。高齢のご夫婦が多く、中には非常に深刻な悩みを持たれている方もおられます。じっくりと話を聞いて、電話番号を渡し「何かあれば連絡して」と伝えると、すごく元気になった方もいらっしゃいます。「自分を気にしてくれている」と思うだけで、少しは意味があるのかなと思っています。
 広川 歯ブラシ一本をきっかけに地域にかかわるのはすごいことですね。住民の方々が抱えている課題は震災が原因ということでしょうか。
 村本 長陽地区では大学が近いということで多くの方がアパート経営をされていましたが、多くのアパートは地震で壊れてしまいました。大学も撤退することになり、戻ってくるかも分かりません。まだ南阿蘇鉄道も止まっていて、通学が必要な子どもがいる若い世代は、熊本市内に引っ越してしまい、老夫婦だけが残されてしまいます。もともとの問題もあったと思いますが、一気に財産を失い、収入源も生きがいもなくなってしまったことが大きいと思います。
 加藤 神戸では、多くの仮設住宅で、孤独死を多数生んでしまいました。医療関係者は、住民の方々に接することができる仕事です。生活の場が仮設になり、あと何年かで復興住宅にと変わっていくと思いますが、村本さんがされているようなことが本当に大事だと思います。
 山口 震災直後と数カ月後、さらに半年後、1年後と段階を経て、また新たな問題が出てくるんでしょうね。支援は地震直後に集中しますが、道路が寸断したことで、高齢者施設や医療機関の職員が大量に離職してしまったり、人が入れ替わったりと、影響が段階的に出ていることを実感しています。熊本は大したことがないと思われていますが、「危険」と判定された建物の数は東日本大震災より多かったといわれ、生活再建の困難さが顕著に現れてきています。
 広川 倒壊した建物の瓦礫の処理もまだまだ進んでいなくて、見かけは何もないように見えても、傾いている、亀裂が入っているなど被害を受けている建物も多いと聞きました。
 村本 私の実家も、お風呂に穴が空いたり、壁のタイルが落ちたりしていますがそのままです。業者の方も忙しく、一部損壊の家では応急処置だけで暮らしている人が多いですが、じわじわと辛さがきていると感じます。
 加藤 一部損壊といっても、生活に不便が生じるような状況で、ほとんど補償がないことは問題ですね。
窓口負担免除ぜひ延長を
 加藤 患者さんの窓口負担の問題が気になります。免除がなくなることで、受診を中断する患者さんが出てきます。これについては、いかがでしょう。
 山口 窓口負担免除措置は10月末で一区切りとなり、11月以降は免除証明書が必要になりました。この期限は2月末までとなっています。当初5月末までとなっていたのが、10月末、2月末と少しずつ伸びています。
 加藤 運動で少しずつ延長させているんですね。
 田村 ぜひ、免除措置の延長をお願いしたいです。患者さんを見ていると、お仕事がない方が多いんです。寝る間も惜しんで、倒壊した家の取り壊しのアルバイトなどに行かれていますが、定職が見つからないという方がたくさんおられます。仕事の合間に歯の治療に来られ、「定職が決まったらきちんと治療を」と言われます。やはり治療時の窓口負担は重い負担となりますので、延長のため保険医協会にはがんばってほしいです。
 加藤 保団連も全国の方々と一緒に運動していきます。被災者は少なくとも仮設住宅を出るまでは免除にするなど、制度を改善すべきです。
普段の診療・連携から災害時に備える
 加藤 最後に、これからの抱負をお願いします。
 村本 超高齢社会になるということを、地震の経験を通じ、介護施設にいて痛感しています。今後、在宅で過ごす方が増えていくなかで、歯科衛生士としてどう役割を果たせるかだと思っています。
 大切なのが「フレイル(虚弱状態)」だと思います。栄養がとれないという状態に、社会的背景も重なり、患者さんの状態が悪くなっている。これをどこで止められるのか、地域で連携し、もっと人とつながっていき、もっと自分も研鑽を積み、一つずつ社会がよくなったらいいなと願います。
 山口 村本さんと全く同じ思いです。地震を通じ、いろいろなことに気づかされました。平常時にできていないことは災害時に発揮できないことを痛感し、自分の病院での安全管理や地域への関わりを考えました。また、一村民としても、村の医療・介護の整備が必要ということを、きちんと村に申し上げていきたいと思います。
 田村 今日、村本さんのお話をお伺いし、こんな情熱を持たれている歯科衛生士さんが村にいらっしゃることを誇りにしたいと思います。
 また、山口先生が仰っている災害時の備えの大切さを本当に感じています。地震後に診療を再開したとき、機械も壊れ、消毒と痛み止め等の薬を出すことくらいしかできない状態でしたが、「先生の顔を見れてよかった」と言ってくださる患者さんがたくさんいらっしゃいました。この経験を通じ、地域密着型の開業歯科医として、災害時に普段と同じように医療を提供することがどんな大切かを感じました。微力ながらも地域に貢献していきたいと思っています。
 加藤 医療機関があることが住民の励みになるということを私も体験しました。これからも大変だと思いますが、がんばっていただきたいと思います。
 広川 大きな災害では、さまざまな課題が浮かび上がると言われますが、本日のお話でもあらためて感じることができました。兵庫協会も先生方からお聞きしたことを、自分たちの活動に活かしていきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

2017年1月6日金曜日

16/12/24~25熊本訪問レポート

 兵庫県保険医協会は12月24日~25日の2日間、熊本県の被災地を訪問、加藤擁一副理事長、広川恵一顧問が参加した。今回の訪問は二胡演奏家の劉揚氏が同行、南阿蘇村の介護老人保健施設で演奏した。
 熊本地震の被災の現状を伺い、お見舞いをするとともに、医療関係者からお話を伺った。


熊本市内で、被災時の状況や、現状とこれからの課題について伺った。(12/24)
(写真左から)吉良直子先生(熊本市中央区役所保健子ども課課長補佐・歯科医師)、本庄多津子さん(本庄内科病院総師長)、本庄弘次先生(熊本県保険医協会常任理事、本庄内科病院院長)、ディヌーシャ・ランブクピティヤさん(崇城大学専任教員)、板井八重子先生(熊本県保険医協会副会長、くわみず病院附属くすのきクリニック院長)。
南阿蘇村の介護老人保健施設リハセンターひばりにて、同施設歯科衛生士の村本奈穂さん、南阿蘇村・さくら歯科の田村尚子先生、菊陽町・菊陽病院の山口彩子先生から、被災からの口腔ケアの取り組みについてお話を伺った。(12/25)

リハセンターひばりでは劉揚さんが二胡で「川の流れのように」や「ふるさと」など親しみのある調べを演奏、参加者とともに口ずさむなど楽しんだ。(12/25)



2016年10月25日火曜日

特別インタビュー 熊本地震から半年

特別インタビュー 
熊本地震から半年 窓口負担免除 患者の2割 継続が課題

 4月の熊本地震から半年、大きな被害を受けた住民や医療機関の現状は−−。武村義人副理事長が、熊本市内にある秋津レークタウンクリニック(熊本市東区)を訪れ、熊本県保険医協会の木村孝文会長に話を伺った。

被災者への窓口負担免除継続を
1828_01.jpg
熊本県保険医協会 木村孝文会長
【きむら たかふみ】1980年熊本大学医学部卒業。同大学医学部第一内科入局。その後、大阪府立羽曳野病院、熊本大学第一内科、熊本市民病院などを経て、90年より秋津レークタウンクリニック院長。2004年より同理事長。12年より熊本県保険医協会副会長。14年より同会長。専門は内科、呼吸器科
 武村 熊本地震は大変な被害でしたね。熊本に着いて周辺を歩きましたが、「危険」の赤い紙が張られている建物があちこちにあり、いまだに応急修理だけで営業している店も多数見かけました。
 木村 建物の修繕や解体作業が進んでいますが、熊本の業者だけでは追いつかない状況です。全国から作業員が来ていますが、まだ解体も始まっていないところも多くあります。
 当院は、熊本市で最大の被害が発生した東区秋津町や沼山津、最も被害が大きかった益城町や嘉島町も診療圏です。全壊・半壊以上の被害を受けた患者さんが非常に多く、8月のレセプトで22パーセントの患者さんの窓口負担が免除となっています。
 武村 一部負担金免除は被災者にとって、非常に大切だと思います。東日本大震災の後、宮城県では2年で打ち切られて、受診抑制が起きたということが、宮城協会の調査で明らかになっています。
 木村 被災した方に負担を強いるのは、非常に厳しいですよね。熊本でも、10月から証明書が必要になり、免除措置は来年の2月いっぱいと言われています。
 武村 継続求め、運動していく必要がありますね。
地域に根ざした診療所の大切さ
1828_02.jpg
聞き手 武村義人副理事長
 武村 この医院も、被害を受けられたんですか。
 木村 2階の天井と照明が落ち、カルテ棚や本棚、ロッカーなどがすべて倒れました。朝、スタッフがクリニックに来ると足の踏み場もない状態でした。
 武村 それは大変でしたね...。
 木村 そんな状態でしたが、診療に来た患者さんが一緒に片付けてくれました。自分の診療が終わっても手伝ってくれていて、本当に胸が熱くなりました。普段は車で10〜20分のところを、迂回して何時間もかけて来てくれる患者さんもおられ、地域に根付いた医療機関として、診療する大切さを痛感しました。
 武村 地域の医師は、普段から患者さんを診て、健康状態も生活状況も知っているので、顔色を見れば状態が分かるような関係が築かれていますよね。
 木村 ええ、地震後に兵庫協会の先生方が来てくださり、「避難所の人たちの医療は、かかりつけ医につなぐことが大事」だと聞きましたが、その通りで、地元に根ざしたかかりつけ医は安心感が全然違います。避難所で自衛隊やJMATの医療を受けていた方たちも1カ月ほどして来られ、「やっぱりここでないと」と言われます。万が一のときも、仮設でも診療を続けられることが大切ですね。
 皆さん、最初に来られたときは恐怖感が強く、がたがた震えておられましたが、話を聞くと、ぼろぼろ涙を流しながら「ここに来てよかった」と、安心した顔になって帰られました。
 武村 あれだけ余震が多いと、なおさら怖かったと思います。
 木村 本当に。いつまた余震が来るかという恐怖がずっとあり、車中泊の方が非常に多かったですね。私自身も1週間車中泊をしました。エコノミークラス症候群の予防が必要ということで、県外・県内の医師が協力して弾性ストッキングを3万足配り、必要な人にはエコーを行う体制を作りました。残念ながら、それでも入院された方はおられますが、あれだけの車中泊の規模からすると、被害を抑えることができたのではないかと思っています。
 武村 これまでの震災の教訓が生かされたのですね。現在の患者さんの健康状態はいかがですか。
 木村 当初は、便秘や不眠、高血圧が増えましたが、落ち着きました。気が張っていた状態から、生活をどうしようかと考えられる状態になってきて、1カ月ほど前にはうつ状態の方が増えましたが、だんだん落ち着かれ、前向きになってきています。
 武村 これから、被災者の方々の生活再建が課題になってきますね。
会員医療機関の36%が被災
 武村 会員の先生方も、さまざまな困難や被害があったことでしょう。兵庫協会の会員も皆、心を痛めています。
 木村 会員医療機関のうち、全壊が9件、半壊36件、一部損壊593件で、自宅損壊が720件と、開業医会員の36%が自院に何らかの被害を受けています。
 武村 一部損壊でも、医療機器の被害を含め大きな損害になりますから、再建まで大変な道のりだと思います。半年経ち、状況はいかがですか。
 木村 全壊医療機関のうち、閉院を決めた医療機関が2件あります。建物の建て替えを始めたところが予定を含め4件あり、他はまだどうするか検討中ということです。
 被害の特徴として、外見は無事のようでも、根本的な部分が壊れてしまっている建物が多いことがあります。ある医療機関は地盤沈下により、新館と旧館の継ぎ目のところで割れてしまいました。一部損壊の医院は、応急修理のまま診療しているところがほとんどですし、テナントも再入居の見通しが立っていないところが多いです。
 武村 厳しい状況ですね...。医療機関は地域のインフラと捉えて、公的な支援を行うことが必要だと思います。
 阪神・淡路大震災時には、医療機関への公的支援制度はほとんどなく、運動によって、もともと老朽化した病院再建のための補助金だった「医療施設近代化施設整備事業」を、被災医療機関の再建にも適用させ、民間の診療所にも補助金が出るようにさせました。さまざまな制約もありましたが、病院・診療所あわせ230医療機関に94億円という公費支援を得たことは大きな成果でした。これが今の災害補助金につながっています。
 木村 そういう経過でしたか。現在ある、厚労省の医療施設等災害復旧費補助金は、必要額の2分の1を補助する制度ですが、まだ調査にも来ないため、使うに使えない状態です。ある病院は、全壊した建物の横の駐車場に、新しい建物を建てようとしたところ、補助金が受けられないと言われたそうです。同じ場所に建て直さないと「移転」という扱いとなり、原状復帰ではないという理由です。
 武村 そんなことでは、再建はなかなか進みませんね。
 木村 そうなんです。別に、中小企業庁が行う中小企業等グループ補助金という補助金があり、2次募集で医療法人も対象となりました。こちらは4分の3補助する制度ですので、医師会・歯科医師会が窓口になり利用をすすめています。
 武村 問題も多く抱えながら、少しずつ改善している部分もあるのですね。使いやすい制度へ、さらなる改善が必要と思います。
 ところで、被災した熊本市民病院について、熊本市が病床を縮小しようとしていると聞きました。
 木村 ええ。市民病院は、移転計画が発表されましたが、現在の病院の許可病床556床に対し、移転後は380床程度に病床を減らすということです。大きな問題は、診療科が削減され、歯科口腔外科がその対象とされていることです。かなりの数の患者さんを受け入れていたので、なくなれば影響は大きいでしょう。
 武村 神戸市でも同じようなことがありました。震災復興をきっかけに先進医療研究を進め、経済的利益をあげようとする「神戸医療産業都市構想」が打ち出されました。そして中央市民病院を、市街から遠い沖合の医療産業都市に移転し、病床を削減し、先端医療のバックアップ病院にしたのです。市民のための病院が、先端医療のために使われるということになってしまいます。東日本大震災後、宮城県では「創造的復興」などと称して、「東北メディカル・メガバンク」というゲノム調査が計画されるなど、復興を名目として別の政策目的を持ち込んでくるので、気をつけなければいけません。
阪神・淡路から熊本へ
 武村 お話を伺うと、やはり阪神・淡路大震災と共通の課題が多くあると感じます。21年経ちますが、阪神・淡路大震災もまだ終わっていません。被災者に貸し付けられた「災害援護資金」は、連帯保証人がいなければ3%もの金利がかかり、その返済にいまだに多くの人が苦しんでいます。この金利は、東日本大震災ではゼロになったのですが、今回の熊本地震ではまた金利がつくことになりました。保団連としても、改善を求めていかなければと思います。
 木村 ぜひお願いします。地震直後から、保団連・全国の協会の皆さまには、大きなご支援をいただきました。本当に支え・励ましになっており、感謝しています。被災した会員に見舞金を渡した際、アンケートを同封したのですが、多くの先生が「震災直後に訪問された保団連の方に力づけられた。またお見舞い金も支えとなりありがたかった」と、感謝の言葉を書いておられました。
 兵庫から阪神・淡路大震災を経験した先生たちがすぐに駆けつけられて、人の温かさを感じました。私たちも今回の経験を生かし、痛みがある人たちに共感し、できることをしていきたいと思います。この経験を内面化することができるなら、この震災は決して無駄ではなかったと思えるでしょう。そういう風に、私自身も、熊本協会もなりたいと思っています。
 武村 見えない被害もまだまだ多く、息の長い道のりと思いますが、共にがんばっていきましょう。ありがとうございました。

2016年8月25日木曜日

「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」

「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」
復興へつながり活かそう
熊本の医師・歯科医師ら4人が報告

1822_06.jpg
会場からも被災地を訪問した経験など活発な意見が出された
 甚大な被害を及ぼした熊本地震から4カ月、被災地の人々が抱える医療・生活の課題とは−−。協会は8月6日、第25回日常診療経験交流会(10月30日、神戸市産業振興センター)プレ企画として「熊本震災から4か月〜被災地の医療−生活の課題」を県農業会館で開催。現地の医師、歯科医師ら4人が、発災直後の状況や医療的課題などについて報告し、95人が聞き入った。

 兵庫協会は4月の熊本地震の直後から、役員・事務局が地元協会や被災医療機関のお見舞い、被害状況の確認を行うなど、訪問を重ねてきた。本企画は、これらの経験から、地震直後や現在の生活と医療の課題を共有し、今後全国・各地域で連携を広げていこうと、熊本協会と保団連の協力を受け、開催したもの。
 熊本市東区にある本庄内科病院の本庄弘次院長(熊本協会常任理事)は、地震により病院のスプリンクラーが誤作動し全館が水浸しになるなど、大きな被害を受けた。スタッフの安否確認も難しく、待合室には近所の住民が避難している中、病院としての機能発揮が求められ、一時デイケアを休止するなどの対応で診療を継続、入院機能も保持することができたと、振り返った。そして、医療機関の復興のため、院内に復興対策委員会をすばやく立ち上げ、問題や改善点を共有する体制をつくった経験から、職員の不安解消をはかり、各職場の復興計画は職員自身が考えていくことが大事だとした。また、保団連・協会の迅速な訪問、募金に、感謝の言葉を述べた。
1822_07.jpg
被災経験を語る(左上から時計回りに)本庄弘次先生、山口彩子先生、ディヌーシャ・ランブクピティヤ氏、村本奈穂氏
 歯科医師の山口彩子先生(菊陽町・菊陽病院)は、災害時の歯ブラシの効果として、誤嚥性肺炎、歯周病・虫歯予防に加え、日常的な動作を行うことで平常心を取り戻す効果もあるのではとの考えを示し、橋やトンネルなどが崩落し、交通が遮断された南阿蘇村で、医療チームとともに、避難所、介護施設を訪問した経験を語った。
 南阿蘇村の村本奈穂氏(歯科衛生士・介護老人保健施設リハセンターひばり)は、誤嚥性肺炎を防ぐことが歯科衛生士である自身の役割であると考え、避難所や介護施設を回ったことを紹介し、被災者に対する口腔ケアでは、住民の方の話を傾聴し、共感することが大切だと述べた。
 スリランカ出身のディヌーシャ・ランブクピティヤ氏(崇城大学専任教員、比較社会文化)は、4月に熊本へ引っ越した直後に地震に遭い、家族とともに小学校に避難し、長期にわたり車中泊を続けていた。避難所で外国人として孤立感や不安を感じたこと、声を掛け合い、互いに助け合うことの大切さを感じ、避難所でスリランカカレーを作って配り、励まし合った経験などを語った。

〝人災は防げる〟杉山保団連理事が発言
 ゲスト・コメンテーターとして、被災直後から何度も被災地を訪れている杉山正隆保団連理事(福岡歯科協会副会長)が発言。地震は天災だが人災でもあり、熊本地震では行政などが「初めて」だからと対応が不十分だったなどと発言しており、これまでの阪神・淡路や東日本大震災の経験があまり活かせていないと指摘。そして、震災の経験をつなぎ、保団連も国に被災者支援を求めていくと語った。
 JMAT兵庫に歯科医師として初めて参加した、足立了平兵庫協会理事(神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科教授)が特別発言し、阪神・淡路大震災で誤嚥性肺炎が蔓延し、震災関連死を生んでしまった反省から、災害時の口腔ケアの重要性を知らせていくことをライフワークとしているとして、災害は努力で軽減できると強調した。 

2016年8月5日金曜日

特別インタビュー 熊本地震から4カ月

特別インタビュー
熊本地震から4カ月−− 被災者の健康 口から守る

熊本市中央区役所課長補佐 吉良 直子先生

1821_02.jpg
【きら なおこ】1954年北九州市生まれ。81年九州歯科大学卒業、83年熊本市役所入庁。食べることの支援をライフワークとしている。熊本県保険医協会理事
4月中旬に起きた熊本地震からまもなく4カ月。被災地の今とこれからの課題とは−−。被災直後から、行政の立場で避難所設置や運営などに関わり、被災者をめぐるさまざまな課題と向き合ってきた、歯科医師の吉良直子先生(熊本市中央区役所保健子ども課課長補佐・熊本協会理事)を加藤擁一副理事長が訪ね、お話を伺った。

課題多かった避難所の運営
加藤 大変お忙しいところありがとうございます。地震から20日ほど経った5月初旬にこちらを訪問して以来ですね。発災から3カ月が過ぎ、行政の立場から見て、状況はいかがでしょうか。
 吉良 落ち着いてきた一方、これからのステップに向け、新しい課題が出てきています。
 発災から振り返ると、4月14日の前震から、16日の本震までの3日間、ライフラインは断絶し、皆がパニックに陥り、市が開設した避難所でも問題が頻発しました。仮設トイレに紙を流しつまる。和式トイレしかなく、高齢者や身体の不自由な人が「使いづらい」と水分を控えて体調が崩れ、持病が悪化する。医療機関の体制やアレルギーへの対応、物資の提供など、反省点が数え切れないほどあります。
 その後の1週間、ライフラインが復旧しコンビニも再開、物資が余るようになりましたが、肺炎や感染症、エコノミークラス症候群が出てくるなど、急性期の課題が目立ちました。
 口腔内については、睡眠不足や唾液の減少によると思われる口内炎が多発し、被災前から必要だった歯科治療のニーズも顕在化しました。また、避難所での性暴力が増えたのもこの時期です。
 1カ月が過ぎるころから、保育園・幼稚園、健診を再開してほしいなど、課題の中心が生活支援になってきて、いま避難所の収束が大きな課題になっています。
 加藤 甚大な被害のなか、ご苦労が本当に多かったことと思います。震災後に出てくる課題は、阪神・淡路と共通の部分が多くあると感じます。5月にお会いしたとき、実は先生ががんばりすぎて倒れてしまうのではないかと心配でした。
 吉良 地震からしばらくは徹夜しても全く眠くならず、気を張っていて疲労に気づいていない状態でした。兵庫の先生方が来てくださり、阪神・淡路大震災時の経験・ご意見を聞け、力を抜くことができましたし、保険医協会のつながりの強さを感じました。本当にありがたかったです。
 加藤 災害時の口腔ケアが、被災者の健康維持に非常に重要だと、阪神・淡路大震災以来、言われるようになりましたが、歯科医師の立場から見られて、今回の地震後の対応はいかがでしたか。
 吉良 医療チームのなかで、口腔機能の低下が命に関わるという意識がなかなか浸透していなかったと感じました。検査項目に歯科に関わる項目を入れておくなどの対応が必要だったのではと考えています。
 加藤 医科・歯科の連携が大切になってきますね。
 吉良 保険医協会ではいつも強調されていますが、本当に重要だと実感しました。

1821_03.jpg
聞き手 加藤 擁一副理事長
1821_05.jpg
「ベロタッチ」を知らせるために作成されたチラシやDVD(制作:「くまもと歯っぴーかむカムひごまる協議会」)
「ベロタッチ」で元気出た
吉良 私自身は災害医療の健診票や記録票などを用意しシミュレーションしていたつもりですが、いざ現場に立つと全然違いましたね。最初、避難所で「口の中は大丈夫ですか?」と聞いても「大丈夫です」と言われ、口の中を見せてもらうことがなかなかできず、歯ブラシを配るくらいしかできませんでした。福岡歯科協会の杉山正隆副会長に「寄り添って、話を聞きニーズを取り上げることが大切」と教えていただいたことが転機になり、少しずつ口を開けてくれるようになりました。
 今は災害時の口腔ケアの大切さについて、住民の方に話し、歯科医院にかかってもらえるような機会を作ろうとしています。熊本の地元紙である熊本日日新聞が応援してくれ、私が力を入れている「ベロタッチ」を特集してくれました。
 加藤 先日初めてうかがって、非常に興味を持ちました。
 吉良 歯磨きのついでに簡単にできる健康法として紹介しているもので、舌の先端と3分の1より前の両側を2〜4回、歯ブラシでやさしくタッチするんです。
 加藤 私も試してみましたが、じわーと唾液が出てきますね。
 吉良 もともと、私が発達支援室にいたときに、子どもが食べない、話さないというお母さん方の悩みに何かできないかと考え、生まれたもので、市民団体を中心に、冊子やDVDを作成するなどして普及を進めていたものです(右図)。
 舌を刺激すれば脳の血流量が増えますが、これまで治療や機能訓練で触ることは少なく、熊本大学の発達小児科の先生に効果がある可能性があると言われ、患者さんに試していただいています。九州歯科大学の柿木保明教授や福岡歯科大学の尾崎正雄教授にも効果を調べていただいています。
 「う蝕治療の際に嘔吐反射がなくなった」「舌が動くようになった」などの声を聞いています。2013年からは水俣市の1歳、3歳児健診で導入されています。
 加藤 舌はもともと感覚器として鋭いですからね。
 吉良 そうなんです。実際、避難所で「眠れない」と言っておられた方の口腔内を見せていただくと、口腔乾燥で、口腔マッサージやベロタッチを紹介したところ、「唾が出るようになり、眠れるようになった」と喜んでいただいたケースがありました。
 それと、動かないためにサルコペニア(筋肉量の減少)になってしまっている方が多く、運動の必要があるということで、私たちが考えた「ベロタッチ体操」もすすめています。
 加藤 大事な予防活動ですね。
 吉良 地震直後、自分は何の役にも立たなかったと思っていたのですが、地域で今、住民の方とお話していて「この話を持って帰ったら皆元気になるわー」と言ってもらって、やっと自分の果たすべき役割が分かってきたように思います。
 加藤 先生が、震災前から築いてこられた住民の方々との関係が生きてくるのだと思いますよ。
 今回の熊本地震で、先生の役割は非常に大きいと思います。開業医は開業医として、先生は行政として、それぞれがんばられたら相乗効果を発揮するんじゃないかと思います。
1821_04.jpg
災害時の口腔ケアの大切さや今後の課題など話題が尽きなかった
窓口負担免除続けてほしい
加藤 3カ月経っても、いまだに県下で約5千人、熊本市内で千人弱が避難所で暮らしているんですね。
 吉良 ええ。熊本市内では、多くの方が自宅に戻られる中で、残った方の生活支援をどうするかが課題になっています。避難生活は一時的なものであり、決して長期化すべきものではありません。アルコール依存症や栄養の偏りなどの問題が出てきてしまいます。どうすべきか、職員も知恵を絞っているところです。
 加藤 一人ひとりのプライバシーを確保できる仮設住宅の整備が求められますね。
 吉良 ええ。家が全壊してしまった方たちの不安は非常に大きく、心配です。また、熊本は地震の被害がないということで、大企業を誘致していた面がありますから、地域経済も、今後どうなるか不透明です。
 加藤 先日、保団連の代議員会で、岩手協会会長の南部淑文先生が震災復興・生活再建は「医・職・住」と言っておられました。医療と職業と住宅が大事な点だと。震災では、社会的弱者が復興から取り残されてしまいます。私たちは、医療の面で役割を果たしていかないと、と思います。
 吉良 その通りですね。これから、アルコール依存症やうつ病による自殺などの震災関連死が問題になってくるでしょう。医療費の窓口負担免除措置も、長く続けていただけないかと思います。家も職業もないときには、負担が気になって医療機関にかかれないでしょう。
 加藤 東日本大震災の後、地元の協会の先生方が中心になり、免除措置継続を求めて運動をずっと続け、一部とはいえ制度を継続させています。震災復興は長期戦です。兵庫県でも、阪神・淡路大震災は21年経ちますが、借金問題や借り上げ復興住宅からの追い出し問題など、震災はまだまだ終わっていません。
 熊本の先生たちとともに、息長くがんばっていけたらと思います。本日はありがとうございました。

2016年6月6日月曜日

熊本地震・現地レポート4

同行した久田ゆかり氏(看護学生)のレポートを掲載する。

本震ではマグニチュード7.3、震度7、体に感じる震度1以上の地震は1500回を超している熊本地震。

熊本県保険医協会の会長は、職員自身も被害にあい、通常業務もままならない。管内には地震発生から二週間経過した時点でも、各々の場所に避難者が散らばり把握しきれない数の車中泊の方がいると疲れたように話した。今後、被災した医療機関が復興して地域医療を担っていくという大前提のもと、他府県の医療関係者がそれをどう支援していけるのかを議論した。

地震発生直後から現在までの支援、市民の反応、そして、これからも変わらず長く続けていかないといけない援助の今後への反省点を、詳細な資料とともに担当者から聞いた。行政として、公の組織という縛りのある中での援助は、組織であるがゆえの臨機応変に対応できない担当者のジレンマと迅速な対応を求める被災者との確執が浮き彫りにされた。また、ここでは担当者自信が支援者自身が被災者であり、自分を奮い立たせるかのように話される中に、自身も受けているであろう大きなストレスが感じられた。

今回の地震で一番被害の大きかった益城町では、倒壊した家屋があちらこちらにあった。 一見しただけでは何処に不具合があるのか分からない建物に関しても、よく見ると『危険』であることを示す赤い貼り紙が貼られてある家も多かった。道路は隆起し、ぱっくりと割れ目が続き、自然の大きな力が容赦なく加わった跡がある。 神戸市から災害派遣で来たゴミ収集車は木屑の山などの収集に奔走していた。また、余震に怯えながら、落ち着かない様子で片付けに追われながらも近所の方と声を掛け合う地域の住民がいた。

益城町最大の避難所『総合体育館』では、ダンボールのベッドで辛うじて自分のスペースを確保。目隠しさえない体育館で多くの避難者が喧騒の中で、コミュニケーションをとることもなく疲れたような様子を見せていた。高齢者の女性に、「疲れたまってないですか?」と声をかけたところ「慣れたよ。」との言葉が返ってきた。疲れているであろう本音を隠している気がした。

今回の訪問で、ハード面、メンタル面、全てにおいての継続的で、被災者の方の心に寄り添いつつ、それぞれの役割で自立していける継続的な支援が必要だと改めて感じた。

熊本地震・現地レポ-ト3


同行した松元伊万里氏(歯科衛生士)のレポートを掲載する。

熊本県被災地を訪問して


2011年3月11日東日本大震災、連日報道されるニュースで流れる映像に胸が痛みました。
いつかまたこのような災害が起こるとわかっていながらも、関わることはないだろうと思っていました。

今回の熊本での地震でいつ災害が起こってもおかしくない状況なのだと改めて実感し、もし身の周りで今回のような災害が起こった場合どう行動するべきか、また何ができるのかもっと現状を知っておくべきだと思い被災者である熊本へ行かせてもらいました。

まず被害状況について伺い、自宅倒壊や断水等の理由により現在も1万6000人以上が避難生活を送っており、今も続く余震に怯え眠れない方が多いと聞きました。5月14日の地震から1か月経とうとしていますが、災害による怪我など緊急を要すること以外にも不安やストレスなど精神面にも影響が出てきているようです。

益城町へも足を運び町の中を見てまわりました。
住宅のほとんどが倒壊して元の状態がわからない家が多く、災害の恐ろしさを目の当たりにし衝撃を受けました。道は以前に比べると通れるようになったそうで、外で子供が片づけを手伝っていたりしていました。

避難所へも行き中へ入らせてもらいましたが医療テントや歯科相談の他にも足のマッサージや手品ショー、カフェなどボランティア活動は比較的手厚い印象を受けました。しかし食事や物資の不足はある程度改善されているものの、ホールだけでなく廊下にも避難している人があふれている状況でした。仕切りがなくプライバシーのない環境で何日も生活しているのはとても耐えがたいと思います。一刻も早く元の生活に戻れたらと感じました。その為に周りの協力がとても必要になるということ今回学びました。歯科としてはやはり口腔状態を見たい気持ちもありましたが、大事なのは不安を取り除き感情を支え寄り添うことだと広川先生がお話されていました。

被災された方にとっては長い避難生活が続いておりボランティアする側は限られた時間でしか介入できませんが、その行動が少しでも復興に繋がると信じ何らかの形で復興のお手伝いをしていきたいと思いました。