2016年6月6日月曜日

熊本地震・現地レポート4

同行した久田ゆかり氏(看護学生)のレポートを掲載する。

本震ではマグニチュード7.3、震度7、体に感じる震度1以上の地震は1500回を超している熊本地震。

熊本県保険医協会の会長は、職員自身も被害にあい、通常業務もままならない。管内には地震発生から二週間経過した時点でも、各々の場所に避難者が散らばり把握しきれない数の車中泊の方がいると疲れたように話した。今後、被災した医療機関が復興して地域医療を担っていくという大前提のもと、他府県の医療関係者がそれをどう支援していけるのかを議論した。

地震発生直後から現在までの支援、市民の反応、そして、これからも変わらず長く続けていかないといけない援助の今後への反省点を、詳細な資料とともに担当者から聞いた。行政として、公の組織という縛りのある中での援助は、組織であるがゆえの臨機応変に対応できない担当者のジレンマと迅速な対応を求める被災者との確執が浮き彫りにされた。また、ここでは担当者自信が支援者自身が被災者であり、自分を奮い立たせるかのように話される中に、自身も受けているであろう大きなストレスが感じられた。

今回の地震で一番被害の大きかった益城町では、倒壊した家屋があちらこちらにあった。 一見しただけでは何処に不具合があるのか分からない建物に関しても、よく見ると『危険』であることを示す赤い貼り紙が貼られてある家も多かった。道路は隆起し、ぱっくりと割れ目が続き、自然の大きな力が容赦なく加わった跡がある。 神戸市から災害派遣で来たゴミ収集車は木屑の山などの収集に奔走していた。また、余震に怯えながら、落ち着かない様子で片付けに追われながらも近所の方と声を掛け合う地域の住民がいた。

益城町最大の避難所『総合体育館』では、ダンボールのベッドで辛うじて自分のスペースを確保。目隠しさえない体育館で多くの避難者が喧騒の中で、コミュニケーションをとることもなく疲れたような様子を見せていた。高齢者の女性に、「疲れたまってないですか?」と声をかけたところ「慣れたよ。」との言葉が返ってきた。疲れているであろう本音を隠している気がした。

今回の訪問で、ハード面、メンタル面、全てにおいての継続的で、被災者の方の心に寄り添いつつ、それぞれの役割で自立していける継続的な支援が必要だと改めて感じた。

熊本地震・現地レポ-ト3


同行した松元伊万里氏(歯科衛生士)のレポートを掲載する。

熊本県被災地を訪問して


2011年3月11日東日本大震災、連日報道されるニュースで流れる映像に胸が痛みました。
いつかまたこのような災害が起こるとわかっていながらも、関わることはないだろうと思っていました。

今回の熊本での地震でいつ災害が起こってもおかしくない状況なのだと改めて実感し、もし身の周りで今回のような災害が起こった場合どう行動するべきか、また何ができるのかもっと現状を知っておくべきだと思い被災者である熊本へ行かせてもらいました。

まず被害状況について伺い、自宅倒壊や断水等の理由により現在も1万6000人以上が避難生活を送っており、今も続く余震に怯え眠れない方が多いと聞きました。5月14日の地震から1か月経とうとしていますが、災害による怪我など緊急を要すること以外にも不安やストレスなど精神面にも影響が出てきているようです。

益城町へも足を運び町の中を見てまわりました。
住宅のほとんどが倒壊して元の状態がわからない家が多く、災害の恐ろしさを目の当たりにし衝撃を受けました。道は以前に比べると通れるようになったそうで、外で子供が片づけを手伝っていたりしていました。

避難所へも行き中へ入らせてもらいましたが医療テントや歯科相談の他にも足のマッサージや手品ショー、カフェなどボランティア活動は比較的手厚い印象を受けました。しかし食事や物資の不足はある程度改善されているものの、ホールだけでなく廊下にも避難している人があふれている状況でした。仕切りがなくプライバシーのない環境で何日も生活しているのはとても耐えがたいと思います。一刻も早く元の生活に戻れたらと感じました。その為に周りの協力がとても必要になるということ今回学びました。歯科としてはやはり口腔状態を見たい気持ちもありましたが、大事なのは不安を取り除き感情を支え寄り添うことだと広川先生がお話されていました。

被災された方にとっては長い避難生活が続いておりボランティアする側は限られた時間でしか介入できませんが、その行動が少しでも復興に繋がると信じ何らかの形で復興のお手伝いをしていきたいと思いました。

熊本地震・現地レポート2

兵庫県保険医協会は、5月7日・8日、熊本地震の現地を訪問した。
同行した平田高士京都歯科協会理事のレポートを掲載する。

熊本地震医療支援に参加して


95年の阪神淡路、2011年の東北の時の「とにかく現場に行く」という思いを胸に熊本に行ってきました。95年1月19日阪急西宮北口から歩き始めたときの言葉では言い表せない程の衝撃、そして2011年4月に石巻で感じた絶望感、そして今回はまさか3度目があるとは、という驚きが現地に向かうきっかけになりました。

九州新幹線に乗って熊本駅に近づくと屋根のブルーシートがちらほらみられるようになりました。熊本駅を降り車を走らせると一見何もなかったようにさえ感じた駅前とは裏腹に、倒壊した建物が所々に見られるようになります。初めに訪れた熊本県保険医協会では会長の木村先生、副会長の徳永先生、事務局長の鈴木さんから地震直後からの県内の状況について説明を受けました。避難している住民は1400回を超える余震のせいで家で眠れない方が多く、車中泊によるエコノミークラス症候群が5月8日朝までに48人発症、またパニック障害の患者さんや、不眠、やトイレへの心配から水分を控え便秘を訴える方が多く、下肢のむくみや血圧上昇などの症状も多くみられるそうです。

2日目は熊本市中央区役所に向かい、保健子供課に勤務されている歯科医師の吉良直子先生から住民の健康状態やご自身が被災直後から経験され行動された事柄について説明していただきました。

その内容は、

14日の午後9時26分の発生から63ヶ所の避難所を開設していたが、住民が自主的にばらばらに避難していたこともあり市役所としては把握できなかった。
その後学校再開の必要性もあり避難所は4箇所に集約する方向で動いている。
当初は毛布がいきわたらず、寒さもあり眠れない住民も多かった。
災害時に必要だったのはメガネ、入れ歯、洗面用具やグローブなどのほかに、着替えを用意しておくことはとても大事だと感じた。
トイレは紙が詰まるので紙を流さないことを徹底する事が重要である。
被災直後から3日目までは実際問題として、食べ物はないと思っておいたほうがいい。
2日後の本震で心折れた人が多かった。
感染症対策のため避難していた体育館を早く土足厳禁にすればよかった。
水は200ccを一日二回配給したが円滑に配給するために備蓄の中に紙コップがあればよかった。
3日目から便秘やむくみの相談が多く寄せられたが、医療機関が無料でかかれるということが周知されていなかったため受診を控える人が多かった。
アレルギーの子供の食べ物がなく、硬いパンなどの食べ物は老人には食べにくいのでゼリーのようなものは重宝した。
避難者どうしの協力体制がとれているところは避難所の運営がスムーズに行っていた。
避難所になっていた小学校には洋式トイレが少なくポータブルトイレが役に立った。
サランラップが食品の保存や傷の処置などいろいろな用途で役に立った。
避難所では行政が介在しながらいろいろな専門性をいかして役割分担をし、それを支えるボランティアの存在が必要だった。
3ー5日の間に自衛隊の応援が入りこのころになるとSNSの情報で物資の偏りを感じ不平不満が生まれだした。
なかなか表には出ないが性暴力の問題は後々まで心の傷になるので気をつけなければいけないのだが、男性スタッフでの対応では充分できなかった。
すべてを行政に頼るのでなく、避難者同士が協力して掃除当番などの役割を担うべきではないか。
1週間以降は物資が供給され避難所格差が生じてきた。
5-10日でエコノミークラス症候群が出始めた。外からの調査隊が大量に入ってきてその中に不審者がまぎれて、空き巣などの心配も増えてきた。

吉良さんの話を聞いていると役所の人たちの奮闘が伝わってきました。ただ長期戦になった場合地元の人たちの体力や精神力がどこまで持つのだろうという心配になりました。

午後からは激震地帯であった益城町に向かいました。東区を抜け益城町が近づくと、住宅に張ってある紙が黄色から赤が増え、阪神のときにも目にした「まさに瓦礫になってしまった住居」が目立つようになりました。
町中に積み上げられた瓦礫を含むごみを神戸市のゴミ収集車が回収に回っているのはとても印象的でした。
益城町は役場が被災し避難所となる大きな施設が少なく、町の中を見て回った後は避難所になっている益城町総合体育館に向かいました。体育館の周りには医療班のテント、歯科医療相談コーナー、足のマッサージコーナーそして自衛隊設営の銭湯と東北で見たのと同じ光景が広がっていました。
ところが避難所の中は一部の高齢者の方はダンボールベッドの上に布団を敷いておられましたが、ほとんどの人はウレタンマットの上にじかに毛布が敷かれており、まだ間仕切りもできていない状態でした。
被災者の方に話を聞くと物資や食べ物は充分足りており、とくに今必要なものはないとのこと。駐車場には夜間の車中泊のための場所を確保するためのペットボトルが多く並んでいました。われわれが滞在した短い時間の中でも何回か余震があり、その状態が3週間以上続いていることを考えると、住民の方々の不安の大きさは計り知れないものだと感じました。

今回の熊本訪問で再度感じたのは、この国そして地球規模で見ても、「災害に強いまちづくり」は実際不可能であり、いつどこでどんな災害にあってもそこを何とかして生き延びるスキルを今までの経験から身につけるしかないのだということです。
そしてそのために物心両面での備えと、日ごろからの健康を維持していくことがとても大切だと感じました。私たちはそこをほんの少しお手伝いできる可能性があります。
そしてそこを一歩進めて、災害の起こった後、自力で健康を維持できず、慢性的な心や体の病から生命の危機にさらされる人たちに寄り添う役割の一端を果たせるように、これまでの経験を集約しそれを元に学習していかなければならないのです。
今回は幸いなことに川内原発は地震で損傷し爆発する悲劇は起こりませんでした。ただいろいろな場所で連動する地震が続いており、川内原発が第二の「フクイチ」にならない保障はどこにもありません。私たちはそこは充分学んだはずです。国民をだまし続けてそして大切なものすべてを奪う原発は許してはいけない、そして経済発展より健康で安心な社会こそがこの国の目指す姿だと再認識しました。

熊本地震・現地レポート1

阪神・淡路大震災の被災協会として経験伝え支援しよう−。4月14日以降に震度7の強い地震が連続して起こり、死者49人、関連死19人など熊本県を中心に大きな被害が広がっている。兵庫協会は4月23日の理事会で、被災地への役員・事務局員の派遣など、熊本協会への協力を確認。4月24日から現地訪問を開始し、会員医療機関の被災状況確認など、活動を行っている。

5月7日・8日には広川恵一顧問・加藤擁一副理事長、林功先生(西宮・芦屋支部)、藤田誠治事務局長、石本紳二・楠真次郎事務局次長、山下友宙事務局員が現地を訪問。また、杉山正隆保団連理事、平田高士京都歯科協会理事らも同行した。7日には、熊本協会の木村孝文会長らと懇談し、被災状況や阪神・淡路大震災の経験などを交流、見舞金を手渡した。西山理事長も電話で木村会長にお見舞いと継続した支援を表明した。8日には、熊本市中央区役所を訪ね、吉良直子課長補佐から状況をうかがい、意見交換した。
5月9日以後も事務局員を派遣し、被災医療機関の訪問を行っている。

参加した林功先生のレポートを掲載する。

1.概況

平成28年5月7日に往路は新幹線にて新神戸より出発し、熊本駅からレンタカーで被災地各所を移動した。復路は航空機にて、熊本空港より伊丹空港に戻り現地解散となった。被災地のインフララインは、幹線道路に関しては概ね復旧が進んでいる。架橋の補強工事も進んでおり、各都道府県より派遣された警察官が交通整理にあたっている。交通は比較的スムーズであった。しかし余震が多く、被災市街地道路においては、道路周辺の住居の土手、外壁の崩落が進んでいて危険な地域が多い。
訪問した益城町では全壊家屋が多く、被災住民の生活の復旧は目途の立たない状況であった。益城町総合体育館における被災住民の、避難生活は3週間にわたっている。プライバシーの確保の問題、衛生面における感染予防対策、高齢者や身体障害者における配慮、住居環境の改善などの問題は、避難所関係各位の賢明な努力で改善されていた。しかし性暴力の問題や、エコノミー症候群の発生、避難所間における待遇格差の問題、行政と住民の渉外問題など、これから取り組まないといけない課題も多く散見した。
熊本地震の避難状況の特徴として、余震が続く中、屋内倒壊の恐れから車中泊する避難者が多い事があげられる。車中泊者に関する支援も今後考えていく必要がある。
被災会員の保団連における訪問調査では、名簿252件に関して、訪問件数74件、全壊6、半壊7件、一部損壊37件、孤立状態で訪問不可も2件報告があった。益城町では診療再開困難な全壊クリニックも多く、今後被害状況全容の把握が急がれる状況である。

完全に倒壊した住宅(益城町2016/5/8)

避難所となっている益城町総合体育館(2016/5/8)


熊本県保険医協会を訪問、懇談した

2.今後の課題

各避難所の衛生面の更なる配慮、地域コミュニティと行政との協調、在宅避難者の健康管理や医療福祉支援、通常の地域医療への移行、高齢者や障害者への避難生活への支援等課題は多く残っていると思われる。

熊本市役所にて吉良課長補佐(右端)と懇談した


3.謝辞

忙しい中お時間を割いて頂いた熊本県保険医協会木村会長、鈴木事務局長、徳永副会長には現地の詳細な被害状況をお聞きすることが出来ました。熊本市役所子ども課吉良課長補佐には歯科医師の視点から避難所における行政の課題のレクチャーを頂きました。被災今回の訪問をコーディネーターして下さった保団連の杉山理事には同じ会員として頭の下がる思いです。今後しっかり支援の輪を繋げていきたいと考えています。またこのような機会をお与えて下さった広川顧問には感謝申し上げるとともに、貴重な学びの機会をしっかり今後に活かしていきたいと考えています。この場を借りて、関係者皆様に感謝申し上げます。